2011/01
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提案「食の絆再生プロジェクト」

Posted on 2011年1月18日 by admin

自分の中で、自分の頭の中で整理した。
いま、なにをすべきで、
僕に、いまなにができるのかを。

この半年は苦しかった。
口蹄疫での夏の高校生受入れ中止は、
いまだから言えるが、かなり堪えた。。。

メディアの誤報がそのまま真実に。。。
対処に追われ、大阪に足を運び、頭をさげ。。。
本にも書いたが、僕が命懸けで取組もうと
決めた活動の顛末がこれなのか。。。

一瞬、自暴自棄に陥った。
僕をなんのために生かしたのだ。
いまの僕の立ち位置を決める大きなきっかけと
なった転覆事故で生かされたその意味を神様に
問いかけた。

一方で、これも半年前のブログに書いた
高付加価値を付けていく北海道の「食クラ」
プロジェクトにも、行き詰まってしまった。
僕がずっとやってきた「ししゃも加工販売」の
ノウハウはまさしくこのプロジェクトにも
ビンゴだった。そして農水が進めようとする
六次産業の流れもその通りだった。

僕は著書の中でこんな寓話をかいた。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「今年も麦が出来たので、50円でどうですか?」
麦はみんなの主食です。
ずっと昔は、みんなで作っていたのですが、
お金やクルマなど便利なものが登場し、
誰もが町へ出て別の仕事をするようになったのです。
ぶたは「高い。」と言いました。
「隣の国の細くてすばしこいにわとりの
作る麦は、もっと安いよ」
ねこも「高い。」と言いました。
「もっと安くする努力をしてよ」
犬も「高い」と言いました。
「隣の国なら、30円だよ」
みんなは結局、
細くてすばしこいにわとりの作った麦を買い、
主食を安くあげました。
小さい白いにわとりは、首をかしげて考えました。
「何を作れば売れるのかしら」
そこへ、学者のきつねがやってきて
「ブドウはどう?」と言いました。
「ブドウなら、100円で売れるよ!」
小さい白いにわとりは、みんなに向かっていいました。
「甘いブドウならどうですか?」
ぶたは、
「いいね。」
と言いました。ねこも、
「いいね。」
と言いました。犬も、
「いいね。」と言いました。
小さい白いにわとりは、ブドウを作ると決めました。
次の年。ブドウがたわわに実ったので、
小さい白いにわとりが、みんなに向かっていいました。
「ブドウができたので、100円でどうですか?」
ぶたは、
「いいね。」
と言いました。ねこも、
「いいね。」と言いました。犬も、
「いいね。」と言いました。
小さい白いにわとりは、麦の時より多くのお金を手にしました。
この年も、みんなは隣の国のにわとりが作る安い麦を買いました。
一方、
小さい白いにわとりは、畑の端っこで
自分たちが食べる分の麦だけは育てていました。
次の年のことでした。
隣の国のお金持ちのくじゃくがやってきて、
小さい白いにわとりに
「そのブドウ、120円で売ってくださいな。」
と言いました。
小さい白いにわとりは喜び
「もちろん。」と言いました。
そして、みんなに売った前の年よりも、多くのお金をもらいました。
そんな時、隣の国の細くてすばしこいにわとりがやってきて、
みんなに向かって言いました。
「今年の麦は、高いですよ。」
ぶたは、
「いくら?」と聞きました。ねこも、
「いくら?」と聞きました。犬も、
「いくら?」と聞きました。
細くてすばしこいにわとりは胸を張って言いました。
「80円です。」
麦は大事な主食です。
ぶたは、
「仕方ない。買う。」と言いました。ねこも、
「仕方ない。買う。」と言いました。犬も、
「仕方ない。買う。」と言いました。
その時、みんなは思い出しました。
小さい白いにわとりなら、
確か50円で売っていたぞ。あそこに頼もう。
みんなは小さい白いにわとりを訪ね
「60円で麦を売ってくださいな」
と言いました。
小さい白いにわとりは
「今は60円の麦なんて、安すぎてつくれません。」
と言いました。
「だってぶどうなら、120円で売れるんです。」
さらにその次の年のことでした。
ふたたび、くじゃくがやってきて、
小さい白いにわとりに
「あなたのぶどうはとてもおいしいから、
今年は150円で買いますよ。」
と言いました。
小さい白いにわとりはたいそう喜び、
「もちろん」と言いました。
そして前の年よりもたくさんのお金をもらいました。
小さい白いにわとりは、
麦を作っていた昔よりも多くのお金を手に入れて、
二度と困ることはありません。
けれど同じその年のこと。
隣の国の細くてすばしこいにわとりがやってきて、
みんなに向かって言いました。
「今年は天気が悪くてね。
みなさんに売る麦がありません」
ぶたは、
「困る。」と言いました。ねこも、
「困る。」と言いました。犬も、
「困る。」と言いました。
「だけどないものはないんです。」
細くてすばしこいにわとりは、一目散に逃げました。
主食が手に入らなくなって
困ったみんなは話し合い、
小さい白いにわとりを訪ねて言いました。
「高くてもいいから麦を売ってください」
さてさて。
小さい白いにわとりは、
みんなになんと言ったでしょう。

そして、時代の流れを受け、急ぎ足で
迫ってくる自由貿易の波。。。
TPP FTA EPAなど。

せっかく、10月の修学旅行(農村ホームスティ)
の受入れは大成功に終わったのに、
口蹄疫のつぎは、これか。。。。
白いにわとりに日本がならなきゃいいのだが。。。

「景気回復」
いま日本人みんなが叫ぶ言葉。
しかし、景気は一時の現象にすぎない。
そして、市場の動向に左右される「経済」
民意と世論に左右される「政治」
「景気」「市場」「世論」
一時の現象に影響しまくるおかしな日本。
なぜ本質ではなく、現象に左右されなければならないのだろう。
「本質」「本当のこと」を「現象」より優先できない
のなら、そこに真実は存在しないはずなのに。。。

民主主義だから、多数決に従うのは、
当たり前だけど、大多数の人が暮らす
都会の論理で考えることに様々な場面で
より疑問を抱くようになったこの半年。

前々回の書き込みにも長文だけど書いたが、
都会を今一度見直し、その価値観を見直す
ことが僕はすべてを差し置いて優先すべき
だと思われて仕方がない。

そう考えると、いまの都会の価値観に
合うようなマーケティングをしていく
ことに大きな疑問を持つようになってしまった。

先日あるニュース番組で卵の価格高騰の話題があった。
物価の優等生と言われる「卵」は、1パック、100円
程度で買えるのが、当たり前の日本。それが、160円
や180円だと、生活が困ると主張する消費者たち。
「給料が上がらないのに、食費は上げられない」
そう言い切る人たち。
ごく一般的な考え方。

でも、スイスでは、卵は1個70円程度で売られているという。
つまり、1パック、700円。
日本なら、不買運動でも起きそうだ。
消費者は声を合わせてこういうだろう。
「安くする努力をしてよ!」
しかし、このことに対し、スイスの子どもたちはこう言うそうだ。

「70円で買うから、鶏農家さんはやっていける」
「鶏農家さんがやっていけなかったら、自分たちは
卵を食べることができないでしょ」

この価値観こそ、この国が取り戻すべきこと。
その想いを取り戻すためのアクションなしに、
農家を想わず、自分のことしか考えない人たちに
合わせるマーケティングを農家はするべきではない。

例え、売れるからと言って、そこに媚びることは
生産者の首を結果しめることになるからだ。

上記の価値観の再生なくして自由貿易に進めば、
結果は明らかであり、逆ににっぽんの農業、農村の
価値観もさらに都会化を招くだろう。

売れるものを作り、高く売れるところに売る。
市場原理の当然の手法。
確かに、農村の発展を考えた場合、これは正論だ。
農家は海外にも販路を広げ、都会的な発想を持ち
都会的豊かになっていくと想像する。

しかし、いずれこの判断は大きなしっぺ返しを
都会的価値観とにっぽんに与えることになるだろう。
なぜなら、命の糧「食」は人知及ばない自然の
産物でしかないからだ。

あらためて言いたい!
僕は、都会を否定もしないし、いまの社会も大好きだ。
でもいまの社会にかけてる価値観がある。
それを再生することがいまの日本に必要であり、
その大きなきっかけがこの「食の絆再生プロジェクト」
なのだ。

でも、僕はこの想いを抱きはじめて、多くの人を
傷つけてしまった。。。
多くの人たちと一緒に作ってきたネットショップの閉鎖。
「旬の逸品やさん」を愛してくれた人を僕は裏切ってしまった。
そして僕を応援してくれる様々な都会の人たちに
想いを踏みにじるような態度をしてしまった。。。
そのことは、償わなければならないこと。
いま、そう思う。

「食の絆再生プロジェクト」が目指すのは、
都会の子どもたちと、農村の子どもたちの意識の醸成。
体験を行い芽生える心の変化をさらに教育というカタチで
意識付けに持っていくことが目的だ。

修学旅行(都会)、浦幌の事業(農村)をモデル的に位置づけ
全国展開に向けた手法を構築し、展開していく。

国策に位置づけを行ってほしい!
自由貿易に突き進むならより考える必要性が高まる
長期的な農村振興、そして食料問題のひとつの糸口として
この活動を国策でやってほしい。

目指すは、スイスなみに農家や農村を思う都会の子どもたちの
意識の醸成と、それにきちんと応え、誇りと希望をいだき
暮らす農村の子どもたちの意識の醸成だ。

今の都会の価値観がかわり、都会の人たちが普通に地方の農村を
自分ごとのように想い、命の糧「食料」を生産する地域に敬意を
持ち、支えたいと願うようになり、

命の糧「食料」を生産する地域ということに誇りを持ち、
地域一体となって、農業をもり立て、農商工連携や六次産業
などの連携手法でさらに地域を元気にしていき、自分たちの
地域を想ってくれる都会の人たちのニーズにあった高付加価値
作物を作り、一方で安定供給が必要であるが故に安価な原料作物を
作り続け、そのことに更なる誇りを農家も感じる。あえて安価な
原料作物を作ることに感謝する消費者は、補助金というカタチで
お金で感謝の気持ちを農家に表現する。

考えてみれば、これが当たり前のこと。
戸別保障や六次産業などの施策を行う前に、このような価値観の
醸成を行うこと。それだけでいいのだ。

ただ、なかなかすぐには、結果がでないのも事実。
きっと、10年、いや20年30年といった、長い目で
見ていく取組みであり、そこで成果が生まれてくる。
だから、いまの価値観では、だれもできない。。。
それは国も同じ。。。
きっと仕分け人に、「費用対効果は?」
「緊急性は?」「成果は?」と迫られるだろう。
この価値観では計りしれないことがある。

いますぐ成果はでない、でもどこからか誰かが
始めないとずっと先送りのようで、結果構築できない
未来があると思う。僕は微力だ。いや無力だ。
正直、財政的には、ネット販売をやめたことで
大きなダメージを背負っている。
もう、いままでのような手出しはできない。。
また僕がやり続けることを別に目標にするつもりもない。
かわりに志を継ぎ、やってくれる人が表れるなら、
すべてを差し出していい。

もし、この想いに賛同してくれる人がいたら、
どんなことでもいい、力を貸してほしい。

20、30年後に食の絆が再生し、いまより幸せ感を
感じられる社会を。

 

babfvt