2011/12
31

2012年へ思う。

Posted on 2011 年 12 月 31 日 by admin

2011年。今年は誰もが言うように激動の年だった。
震災で犠牲になった人たちのご冥福を心からお祈りしたい。

震災以外にも色んなことが起きた今年。
グローバル経済に限りが見えたのも象徴的ではあった。

自分の命=つまり僕らが生きることの目的が前回の書き込み同様
今年最後のブログテーマ。

ちなみに僕は生きる目的をこう考えている。
「次代に命をつなぐため、社会を次につなぐために、僕らは生きている」

人はひとりでは生きていない。支えあって生きている。
僕はそれを自然と対峙した漁業という営みから学ばせてもらった。
震災でも多くの人がそれを感じただろう。
また僕らは他の動植物の命をいただき生き続けている。
そう、僕らが生きるために必要な命の糧である「食」には、
それ自体に元々命があり、その命に僕らは支えられているのだ。
そして生きれているのは、いまのその支えだけではない。
僕らの命はそもそも親が授けてくれたものであり、その親も
そのまた親から、ずっと続いてきたそのつながりがなければ、
いまここに実在しない。つまり僕らはつながりの一部であり、
そのつながりがなければ、生きること自体できない、
自分ひとりでは生きれていない存在なのだ。

「お金があれば手に入る、お金があれば安心」という感覚。
インターネットや携帯電話という便利なツールが作り出す新しい
「つながり」が「自分ひとりでも生きれている、自己完結できている」
という錯覚を醸し出す現代社会。
もちろん便利な道具を手に入れることは必要だし、
お金を稼ぐことはとても大事なこと。それを否定することはしてはいけない。
大切なのは、それらの手段を使い、僕らが生きている目的をきちんと
果たすことだと思う。目的、そうそれは、自分が授かった「命のつながり」
「社会のつながり」を次につなげていくこと。
そう思えば、僕らの命を次につなげるために何をするべきか?
何を大事にするべきなのか?
社会を次につなげるためにどんな役割を果たすべきなのか?
必然的に見えてくる。

いま必要なことは、手法論(政策や企画)を語る前提となる価値観の創造。
その根底には、自分ひとりでは生きれていないという事実と真摯に向き合う
勇気が不可欠だ。

グローバリゼーションが様々な問題を引き起こす中、
この国はきっとTPPに進んでいくのだろう。。。
まだ間に合うのなら、やっぱり全力で止めたい。

昨日、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジの「幸せの経済学」
の試写版を見た。ニッポンの政治家はぜひ見るべき作品だ。
北海道でも上映会をぜひやりたい、そう思った。
また、社会を次につなげるため行っているいまの発信に
更なる確信と自信を持たせてもらい、
僕もいつか映画をとりたい!
思わせてくれた作品だった。

社会をまもるという哲学がほしい。
社会をつなぐという理念がほしい。
経済は社会をつなぐためのひとつの手段でしかない。
経済成長を目的とする価値観はもうやめにしよう。。。

2012年。
来年は、みんなに背中を押されて、活動を一歩前に進めることになりそうだ。
これは、ビジネスではない。
これは、社会を次につなげるための仕組み作り。
賛同してくれる方と役割分担しながら、進めるプロジェクト。
もう迷わない。

僕はここに命を使う。
僕が生きる意味はここにあると信じて。

2011/11
26

だいじなこと。

Posted on 2011 年 11 月 26 日 by admin

先日、ぼくが尊敬する方からお手紙をいただいた。
その中に書かれていた一文を紹介。

「自分の命と、自分のお金とどちらが大事?」と聞けば、
ほとんどの人がこう答えるだろう。
「命が大事だと。」
でもこう質問したら、どう答えるだろうか?
「自分のお金と、他人の命とどちらが大事?」

他人との距離感、親密感によっても違うかもしれないが、
みなさんとどう答えますか?

 

さらにぼくはこう思う。
命より時として大事なものがある。
上記を前提に考えると、 お金 < いのち < ○○○
といったところだろうか。

そのことに触れる前に、少し最近の活動の話をしよう。

今年の「農村ホームスティ」はなんとか無事に終わった。
十勝管内268戸の農林漁家と2081名を受入れた。
1泊の農林漁家での生活体験だが、今年も大きな手応えを
感じた。この積み重ねが新たな価値感形成につながると確信。
(昨日までの3日連続で北海道新聞で特集されたが
収支は厳しいのが現状。。。バレたか。。。というか、
そこにこだわりがないというのが正直な答え。それじゃダメだよ。
色んな方からお叱りを受けそうだが、ぼくがしようとしているのは、
ぼくの事業としての存続、継続でなく、行政などを巻き込む仕組み作り。
多くの人たちが関われる枠組み形成だ。みんな不思議がるけど、目的と手段を
分けて進めているぼくにはなんの迷いもない。〜ただ、近しい人には
相変わらず傷つけてしまっているかしれないけど。。)

先週、こんな企画を行った。大手企業の経営者育成プログラム
の一環としての「農村ホームスティ」。
参加者は34名。
ビール会社、製薬会社、証券会社、商社など、誰もが知る
大手企業34社の幹部社員(平均年齢45歳)ばかりだった。

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どんなことを体験してもらったかというと、酪農家での
生活体験。朝3時半に起き、搾乳。そして牛舎の掃除。

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午後からは、新得地鶏に協力してもらい、
いのちをいただく、実践授業。

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生きている「にわとり」をつぶした。
みんなで毛をむしり、解体し、最後にたべた。
「いただきます」まさに他の命とのつながりがなければ、
我々は生きていけないことを身体と心で感じてもらうのが、目的だった。

酪農家での生活体験後の感想で、分かったこと。
それは、お互い、なにも知らなかったんだな〜ってこと。
都市と農村の対立構図がTPPでさらに深まりを見せている中、
議論をする以前に互いを知る必要性を改めて実感。

命の糧「食」を育む営みはもっとリアルに発信しないと。
命の糧「食」をいただく生活者は、もっとリアルに受け止めないと。

ただ、もうひとつ確信したことがあった。
それは、結局は人と人の問題なんだ!ってこと。
農家も企業人も所詮同じ人間。
何が大事で、なにが大切なことなのかという
議論に立場は関係ないってこと。そして想いは共通だってこと。

でも、正直、ビクビクだったよ。
TPPの渦中の中での、こんな企画は。。。
十勝で誰を巻き込みどう対応するか。。。
どのような順番でなにをどう見せて、どう感じてもらうか。。。
ある意味、こんなに気を使ったのは、生まれてはじめてかも。。。
でもやってよかった!農家や参加者である企業の方たちの
感想を聞いて実感した。伝える方向性に更なる自信が芽生えた。

一昨日、札幌で講演をした。
そのときにこの時の話をしたのだが、話を聞いてくれた
主催者でもあった日本ユニシスの黒川社長が
「話を聞いて涙が出た。」と感想を言ってくれた。
彼は、農家出身で自身の幼少期ににわとりをつぶす
実体験を持っていた。私の発信に大きくうなずいてくれた。

企業人のプログラムを主催するISL(東京)は、
来年も引き続きとやりたい!言ってくれている。
企業人に農村での実体験を通じ、食の現場でなにかを
継続的に感じてもらいたい!
様々なつながりが希薄していく現代社会では、
このような取組が必要だと改めて感じた。

 

話を最初に戻そう。

人はひとりでは生きていけない。
ひとりでは生きれていない。

ぼくも、みなさんも、いまこのこうして生きて
いるのは、親がいたからで、親がいなければ
こうして生まれてこれていない。
そしてその親もその親もそのまた親も。
つまり、ぼくらは、過去からのつながりの一部で
あり、このつながりを次につなげていく義務がある。

いのちをつぎに、社会をつぎにつなげていくこと。
そこに生きていく意味があり、そこにいのちを
使う必要があるのだと思っている。

いのちが大事。いのちをつぎにつなげていくことが大事。
ぼくは、3人の子どもを授かった。
いのちをつぎにつなぐことは、まあまあ、義務を果たせたと考える。
あとは、社会をつぎにつなげていくために、なにが
できるのだろう?
毎日そう考えてばかりいる。

つまり、ぼくの中では、社会をつぎにつなげる>いのち
なのかもしれない。
だからといって、いのちを粗末にはしないが、
自分のいのちを存続させるために、社会がつながるチャンスは
逃したくない!そう心にきめている。

社会がつぎにつながっていくために、
ぼくはなにをするべきか?
どう生きるべきか?
どう命をつかうべきか?

自分自身に問いかける毎日だ。

2011/11
11

小学校で習ったこと。

Posted on 2011 年 11 月 11 日 by admin

小学校で習ったこと、
それは、
「他人を傷つけたらいけない」ってこと。

 

小学校で習ったこと、
それは、
「困った人を助けよう」ってこと。

 

小学校で習ったこと、
それは、
「うそをついてはいけない」ってこと。

 

小学校で習ったこと、
それは、
「みんな仲良く!」ってこと。

 

小学校で習ったこと、
それをそのまま実行してたら、
いまのこの競争社会では生き残っていけない
ってことなんだって感じるこの頃。。。

「ズルさ」や「駆け引き」を身につけなければ
勝ち残っていけないような
勝負を永続的に続ける意味はなに?

こんな社会に未来はあるのだろうか?

 

小学校で習ったことを実行して
報われないのなら、子どもに何を
伝えることができるのだろうか?

2011/10
30

賽は投げられた。

Posted on 2011 年 10 月 30 日 by admin


色んな物や事が壊れてきたね。それなのに見えてこない
未来への展望。。。
リセットされるまで壊れ続けることが宿命なのか?
それが「自然の摂理」なのかな〜とつくづく思うこの頃です。

震災、原発事故、そしてTPPに突入の日本。
格差社会を生み出し限界を迎えているグローバルな
経済至上主義。

目を覚ませ!日本の政治家たち。。。
あなたたちはなにを目的にこの国に雇われているのか?

それはただひとつ、この国が無事であり続けること。
今の社会が無事であり、次につながっていくために
仕事をすることが唯一の目的ではないのか!

我々はいまこそ自覚するべきだ。
自分ひとりで生きれていないことを。
支えられていきれているということを。

空気、水、食料があり、生かされている我々。
他の命をいただき、つぎに命をつないでいる我々。
先祖からのつながりがなければ存在していない我々。

自分ひとりでなんてなにもできていない。
つながりの中で生きれていることをもっと真摯に
受け止めるべきだ。

よく聞く言葉「人はなんで生きているのか?」
「自分のため、家族のため、夢を実現するため、
世の中のため、お金を稼ぐため」
色んな答えが返ってきそうだ。

でも答えはひとつに決まっている。
それは、つぎに命をつないでいくため。
そう、種を保存するために人は生きている。

それ以外は手段であり、目的はただひとつなのだ。
手段が目的化してしまい、本当の目的が見失われて
しまっている現代社会。

手段であるはずの経済が優先され判断されるTPP。
TPPを農業問題だと思っている人はいないだろうか?
農家が困るだけの政策だと思ってはいないだろうか?
自由化、グローバル化は本当に正しい判断なのか?

正しい判断?
そう、目的を達成するために必要な判断なのかということ。
国が目指す目的は、国の存続、国の無事。
そこに住む国民の命がつぎにつながっていくことが
目指すべき目的。
そのために、私は自由化、グローバル化は不必要だと確信する。

思い返してほしい。
戦後高度経済成長をし発展してきた日本。
奇跡的な成長で世界をリードしてきた日本の企業。
企業の発展がイコール国民生活の水準を押し上げてきた。
サラリーマンは企業に守られ、修身雇用が象徴するように
国民は企業とともに豊かな暮らしを手に入れてきた。
また企業はこの国の発展に大いに貢献してきた。
そして世界に進出する日本企業。国民はみな誇らしかった。
日本の企業から世界の企業に!企業はさらに大きく飛躍して
いくことになった。世界中の投資家に注目される日本企業の株式。
株主の比率が国民よりも海外の投資家や企業が多く所有することも
珍しくない状況。ある製薬会社は80%が海外資本。
ある自動車会社は50%が海外資本。

しかし、これはなにを意味しているか?
つまり、日本発の企業はグローバル社会の中で世界の企業に
なったということ。裏をかえせば、日本の企業でなくなったと
いうことだ。もはやこれらの企業に国益は考えられない。

企業利益をあげるために、必要であれば、人件費の高い日本人を
クビにし、安い海外の労働者をあてる。工場を国内から海外に
移転をする。株主が望むのは、利益であり、国益ではない。
国民を雇用することに優先順位をあげることを株主は望まない。
利益にならなくても国益になるような判断を株主は望まない。
利益をあげることが是で、利益があがらないことは非。

なにが手段で、なにが目的なのかを、いま一度考えてほしい。

自由化が進み、淘汰されるだろう日本の農業。
もちろん現状を全て守れとはだれも思っていない。
しかし、新たな枠組みの中で企業が農業に進出し、利益追求の
価値観のみを持ち込み、世界に進出する農業生産法人が
続出していけば、上記のような戦後企業と同じ道を辿るだろう。
なぜなら、日本の工業技術も優秀であれば、また農業技術もまた
世界の中では最高の水準だからだ。

命の糧、食を賄う「農業」を自由化、グローバル化の中に解放しては
ならない。農業は産業とだけでとらえてはならない。
命の糧を自国で守れるコントロール機能が麻痺すれば、
国は滅びるだろう。農業の持つ国防という概念を忘れてはならない。

タイやオーストラリアの洪水など、温暖化も影響してか、異常気象は
稀な現象ではなくなってきたいま、そして人口がまだまだ増え続ける
いま、世界を震撼させる食料危機は決して絵空事ではない。

国を存続させるためになにを守るべきか?
言い換えれば、なにがなければ、国は存続できないのか?
人が命をつなげていくために必要なものはなにか?

壊れたあとのことを考え、進むべき方向は明確に見えてきた。
この国の判断を受け、僕はふたたび大きく舵をとろうと思う。
この半年の間、僕なりに努力はしてきたつもりだったが、
もう壊れることを止めることに時間は使わない。
壊れることはもう止められない。。。
これ以上そこに時間を使おうとすると僕の命が続かない。。。
だから僕は船をおりるのをやめた。(漁師復活じゃないよ、笑
船をおりるには、ふたつの意味があったということです。。。
ちなみに、私の著書のタイトルです。。。この半年、そしてその前から
のこの1年半は、ほんと苦しかった。。。)

2月にも書いたが、いま、方舟を作ろうと心にきめている。
命の糧食を賄うここ十勝で将来多くの人が受入れられるように。

都市と農山漁村の信頼関係の構築を国レベルで考えるのではなく、
もっと小さな枠組みで考えることがこれから求められる。
生きていくために必要なもの、水、空気、食料。
そしてそれらを補完するために必要なエネルギーを
できるだけ自給できる枠組みのモデルをここから作っていきたい。

賽は投げられたよ。みんなはどうする?

2011/05
6

譲る。

Posted on 2011 年 5 月 6 日 by admin

YIELD
GIVE WAY

この3つは、海外の「道路標識」にある文字。

GIVEWAY

 

 

 

 

 

 

 

yield標識

 

 

 

 


文字の意味は3つとも同じで、
「ゆずる」ということ。

海外では「前方優先道路」の標識がこうなっている。

ちなみに日本では「譲れ」はなく、
「止まれ」「徐行」があるだけです。。。

とまれ標識

 

 

 

 

 

「止まれ」は優先道路に対して、相手に進路を譲る
ための手段であるはず。
けっして目的ではないのです。。。

「譲る」は心の持ちようであり、絶対的な証拠として
残るものではない。でも「止まれ」は一目瞭然。
「止まる」「止まらない」は誰にでも同じ現象として
判断できる。

本質が置き去りにされ、目に見える現象でのみ判断される
これってつまり分かりやすい典型的な
「日本モデル」だな〜。

大事なのは、止まる、止まらないではなく、
優先すべき相手がいた時に、
譲れるのか?譲れないのか?ということ。

何が本質なのか?
何を大事に物事を考えていかなければならないのか?

今回の震災からの多くの本質を取り戻すための教訓得た日本。
本質を論じず、目に見えないことを避け、見えるだけの現象に
左右され、手段と目的をはき違えた過去から、抜け出そう!

いまこそ、他国のように「譲る」という道路標識
を導入してみてはいかがだろうか?

本質を考えるための、気づきが芽生え、
良いきっかけにもなるのではと思うのですが。。。